大川 輝(おおかわ あきら)
モトタバコヤ 主宰|株式会社 POS 建築観察設計研究所 代表取締役 大阪府守口市出身。大学で建築・都市計画を学び、コンサル会社、工務店を経て、2009年に「POS 建築観察設計研究所」を設立。此花区をベースに、工務店・まちづくり・イベント企画運営・おもしろ物件ツアーを行い、「地域」と「若者の暮らし」の可能性を考える。元たばこ屋を改装したモトタバコヤの 1 階を日替わりシェアショップとして運営。梅香・四貫島エリアで2008年より開催している街中イベント「見っけ!このはな」では、地域との調整なども行う。梅香エリアでは、地域活動協議会の総務も担当。
味方になってくれる地域のおばちゃんがいるんです。
地域活動に関わりながら、じわじわとアートを浸透させていく。
——大川さんが此花区に関わるようになったのは、いつ頃からですか?
2009年に事務所を独立するタイミングで、此花区に来ました。前職のコンサルティング会社で、此花区のまちづくりに関わっていたことがきっかけです。此花区は 2007年頃から「此花アーツファーム構想」といって、美術家の藤浩志さん、地元の不動産会社、コンサルティング会社が協働でまちを活性化させる動きを作ろうとしていたんですよ。
——そこに大川さんも関わっておられたんですね。此花区に来られてからは、どんな活動をされていたんですか?。
2009年から「此花メヂア」という共同アトリエに、写真家やダンサーなど 9 人のアーティストと入りました。僕はまちづくりを仕事にしていたので、僕自身がアーティストというより、アーティストが地域に入るためのつなぎ役ですね。工務店を経営していますから、街中での展示や設置も手伝えますし、いろいろと担える部分は多かったと思います。
——地域とアーティストの「つなぎ役」としての大川さんが誕生したわけですね。
アトリエにこもりがちなアーティストと地域をつなげるのは、僕の役割かなと思っていました。当初は町会のお手伝い程度で、しっかり関わるようになったのは、地域活動協議会ができたときですね。地域の盆踊りにライブや紙芝居を入れたりして、じわじわと地域の人たちに僕らを知ってもらって、受け入れもらえる状況をつくってきました。
——地域との調整役は非常に需要だと思いますが、地域活動協議会に入ってまで活動している人は少ないのでは……?
そうなんですかね?僕は自分の会社が地域にあったので、まちづくりをしている会社として地活に入ったという感じです。
大川さんが運営する、元たばこやを改装した「モトタバコヤ」。 此花のまちの窓口であり、入口になっている。シェアショップやレジデンススペースとして活用されてきたが、まちの状況の変化に合わせてリニューアルを構想中。
普段から関わっているから、受け入れてもらえる部分はある。
——大川さんご自身はもともと、まちづくりにご興味をお持ちだったんですか?
大学時代に、まちづくりワークショップの研究をしていたんです。建築に興味があったんですが、構造計算や意匠設計があまり得意じゃないなと気づいてしまって(笑)。進むべき道を探していら、集落調査とか都市計画とか、まちづくりという道を見つけました。
——「つなぎ役」という役割において、地域側、アート側、どちらかの立ち位置に偏ることはありませんか?
立場を使い分けるっていうのを覚えました。会社の代表、「モトタバコヤ」という地域に広がっていきたいお店の人、地域活動協議会の人、見っけ!このはなの事務局の人、すべて使い分けていくほうが楽なんですよ。
——地域活動協議会に入っていることで、地域とのやりとりはスムーズにいきますか?
やりやすくなったこともあるんですが、逆に深く入り込むことによって、やりにくくなっていることもありますね。それに今でも時々ミスをして、怒られることもありますよ(笑)。去年もイベントを開催する地域の連長さんに連絡を忘れてしまって、お叱りを受けました。
——地域でアートイベントを行う際には、細やかな調整が重要なんですね。
そうですね。普段から地域と関わっているからこそ、受け入れてもらっている部分もあると思います。困ったときは、付き合いの長いおばちゃんに助けてもらえたり(笑)。ここぞというときに、ふだんの活動が物を言いますね。でも地域活動に参加しているのは基本僕だけなので、後継者は作りたいなと思います。
梅香の地域活動協議会で総務を務める大川さん。地域のニュースや取り組みを紹介する『梅香 新聞』を発行している。
「アーティストが住むまち」に変わった此花。
——「此花メヂア」や「見っけ!このはな」によって、此花区はアートの街として注目されるよ うになった印象があります。
メヂアはもともと、アーティストとアーティストをつなぐイメージだったんです。見っけ!をはじめ、メヂアで開催するイベントに来るアーティストに此花の魅力や可能性を感じてもらって、ここに拠点を持ちたいと思ってもらえたら……と。僕はそのために、物件紹介ツアーもしていました。
——実際に住む人も増えたんですか?
「おおさかカンヴァス」チーフディレクターの古谷晃一郎さんにスペースを提供したり、外国人のパフォーマーを誘致したことで、そのまわりの人が来てくれるようになりました。「おおさかカンヴァス」のサポーターをしていた若い子たちが、此花に住みだしたんですよ。
——此花区にアーティストたちが集まりはじめたんですね。
メヂヤや見っけ!がきっかけで、此花に来た人は多いと思います。今はまちの中に25カ所くらい活動拠点があって、住んでいる人は 100人を超えているんじゃないですかね。
——アーティストが住むまちになって、メヂヤや見っけの役割は変わりましたか?
メヂアは、2013年に解散・解体になりました。それぞれがこのまちの中にスペースを持ちはじめたので、共同アトリエとしての役目は終わったかなと。見っけ!も始めはアーティスト同士の接点をつくることを目的にしていましたが、メヂアにいたアーティストたちがどんどんまちに住むようになって、今度は地域の人たちに、自分たちの活動をお披露目することが目的になったんですよ。オープン・アトリエみたいな感じで。
10 回目を迎えた「見っけ!このはな」。18会場で展示やライブ、ワークショップなどのプログラムが行われたほか、藤浩志さんはじめ、これまで関わってきたゲストを迎えての振り返りトークショーも開催された。
なんとか10年。これからも、できるペースで続けていく。
——「見っけ!このはな」は、今年で 10 周年ですが、振り返っていかがですか?
一年一年が勝負で、今年もなんとか開催できたかな……という感じです。無事にできて良かったなと、今はほっとしています。
——毎年それだけギリギリの状況でやっておられるんですね。実行委員会形式で運営をされてい るんですか?
協賛金をもらっていたときは前のコンサル会社と僕の会社で運営していたんですが、今は実行委員会で、事務局が僕って感じですね。2012年に参加アーティストが 60組を超えて、3ヶ月くらい自分の仕事ができない状況になってしまって。ちょっとこれは厳しいということで、それで協賛金もいただかないようにして、自分たちのペースで開催するようになりました。
——助成金などは?
もらっていないです。印刷費などの実費だけを、地元の不動産屋さんに協力していただいています。みんなそれぞれが自分のお金でプログラムを作っているんですけど、お金もらってるんでしょ?って言われるんですよ。がんばるほどそう言われるので、もらってないんです!って言い続けるしかないんですけど。
——これからの活動については、どんなふうにお考えですか?
とりあえず、モトタバコヤをリニューアルしたいと考えています。シェアショップにしていたのですが、もう一度、丁寧にやろうと。モトタバコヤが面白いことが発生する起点になればと思っているので、まちの中にゆるく存在して、その時々に、まちにとって必要なものになっていけたらいいなと思います。
「自宅がある守口市では、あまり地域活動に参加できてないんですけど。PTAのイベントでテントの設営したり、そういうお手伝いばっかりで(笑)」