今中博之(いまなか ひろし)
社会福祉法人素王会理事長。アトリエインカーブ クリエイティブディレクター。
乃村工藝社デザイン部勤務を経て、イマナカデザイン一級建築士事務所代表。
グッドデザイン賞など受賞。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会文化・教育委員会 委員。厚生労働省・文化庁 2020年オリンピック・パラリンピック東京大会に向けた障がい者の芸術振興に関する懇談会 委員。大阪府 アートを活かした障がい者の就労支援事業企画部会 副部会長。主な著作に『観点変更 なぜ、アトリエ インカーブは生まれたか』などがある。
「障がい者アート」ではなく「現代アート」として。
福祉にカテゴライズせず、美術的な視点で作品を観る。
——アトリエインカーブの事業内容について、簡単にお伺いしてもいいでしょうか?
「アトリエ インカーブ」は、社会福祉法人素王会(そおうかい)のアートスタジオとして、2002年に設立しました。知的に障がいのある方々が、通いでアート活動を行うアトリエ施設です。通所されている方々に共通しているのは、「ものづくりが好き」ということ。現在メンバー25人が25通りの創作をしています。2010年にインカーブのアーティストの作品を専門に展示する「ギャラリー インカーブ」を京都に開設し、東京のほかにNYや上海など海外のアートフェアに出展もしています。ほかに、図録や書籍の企画・出版などを行う「ビブリオ インカーブ」も運営しています。
——インカーブの理念や、大切にしている考え方があれば教えてください。
障がいのある人の創作は、日本では「障がい者アート」と呼んだり、「アウトサイダーアート」「アール・ブリュット」と読み換えをしたりすることがほとんどですが、我々の立ち位置は、「そういうカテゴライズをやめましょうよ」ということ。そこには、福祉的な観点が入っていて、美術的な視点が抜けています。インカーブでは、彼らの作品を「現代アート」に包含する立ち位置を取っています。そして積極的に市場に発表・販売しています。
——障がい者アートではなく、現代アートとして市場に出すということですね。
市場は自立を助ける場でもあります。現代アートとして市場に出すことで、彼らが作家として独立することを目指してきました。
アトリエ インカーブのエントランスホール。気持ちのよい吹き抜け空間になっている。
ビブリオ インカーブから発行されているカタログ。スタイリッシュな装丁。
アートとデザインの違いはあれど、同じ「ものづくりの人」。
——この事業を始めたきっかけについて、お聞きしてもよろしいですか?
19年近く空間デザインの仕事をしてきましたが、教育を受けた人間というのは「毒」を含んでいると思うのです。なにを作っても、どうしても学んだものから逃れられません。それがずっと、僕の悩みでした。長年にわたって「オリジナリティとは何か」を追求していった先に出合ったのが、「シュヴァルの理想宮」という建造物でした。作者のシュヴァルは田舎の郵便配達夫で、建築の素養も全くありません。でも、その建物が全くの無作為で、本当に素晴らしい。体がよじれるくらい「オリジナリティ」を感じました。
——インターネットで画像を見ましたが、本当に独創的な作品ですね。
僕がやってきたことは、とても作為的だと気付きました。時代を考え、風景を考え、お客さんが納得するものをプレゼンし……それが悪いということではなく、それは「アート」ではなくて「デザイン」です。デザインというのは徹底的に作為的にやるべきで、理論づけしないものこそがアートだと思いました。それに気づいて、気持ちが晴れましたね。
——知的障がい者の方がアートに向いていると思われたきっかけは?
その後、次々に知的に障がいがあるアーティストとご縁があり、交流を重ねることで、アカデミズムに支配されていない彼らこそ「オリジナリティ」が作り出せるに違いないと感じ、インカーブが生まれました。例えば寺尾勝広さんは、僕の知る限り今日本で最も高額で作品が売れるアーティストの一人です。初めて作品を見た時、「ずばぬけている」と思いました。しかし、その時の寺尾さんの生活は、決して楽なものではありませんでした。デザインとアートの違いはあれど、僕も彼も同じ「ものづくりの人」。このクオリティにも関わらず、知的障がいがあるというだけで、なぜいじめに遭い、少ない収入で暮らさなければいけないのか……。そう思ったのが、インカーブを作ったきっかけのひとつです。
——とても切実な理由だと思います。
その当時、彼の絵を評価し展示してくれる美術館はどこにもありませんでした。「公民館で展示したら」「バザーで販売してみたら」と言われました。日本では駄目だと思い、NYのギャラリストに評価を求めると、案の定、彼らはその価値をわかってくれました。その後、大手広告会社の協力を得てインカーブのお披露目をしてからは、日本の美術館も展覧会をしたいと言ってくるようになりました。4回の展覧会を開きましたが、その後は美術館での発表はしていません。美術館では売買ができないからです。ここ5~6年は、アートフェア(市場)に作品を出しています。アーティストの収入源を確保することも、とても重要なことですから。
「偽性アコンドロプラージア」という先天性両下肢障がいを持つ今中博之さん。「なぜ自分は、100万人に1人のこの障がいを持ってこの世に生をうけたのか」「オリジナリティとは何か」という2つの問いと真摯に向き合い、その答えを追い求めた過去があって、今がある。
海外からのアートコレクターは、大阪に来ない。
——外観も独創的で非常に目を引くのですが、大阪市平野区という場所に設立された理由を教えてください。
施設の場所を平野に決めたのは、初期投資となる土地の値段が安かったからです。インカーブのある地域は生産緑地なので、大阪府または市、もしくは社会福祉法人格を持っている団体などが戸建てを建てることができます。おかげで隣の土地は15年間ずっと田んぼが残っていて、いい借景になっています。
——大阪のアート市場に関してはどう思われますか?
大阪と東京を比べても、芸術的民度は明らかに違うと思います。アートフェアのギャラリーの質も全然違います。インカーブのギャラリーがなぜ京都にあるのかと言うと、海外のアートコレクターの方々は、大阪にはまず来ないからです。東京→京都→直島ルートか、東京→京都→金沢ルートのどちらかを行かれることが多いのだそうです。大阪で作品を発表しないのかとよく聞かれますが、発表はしないですね。ここでは、作るだけです。
住宅や田んぼが並ぶ風景の中で、アトリエ インカーブの外観は存在感が際立っている。
閉じながら、開いていく。
——設立から15年、どんな思いを持って取り組んでいらっしゃいますか?
当初から「閉じながら、開いていく」ということを意識しています。僕らのお役目は、アーティストたちの内面の波をいかに少なくするか。人と会うことは、内面に波を起こします。それによって上がることもありますが、上がれば下がるものです。閉じこもるのは良くないことだと思われがちな世の中ですが、そんなに悪いことでしょうか? より閉じこもって、おだやかに我々の文化を作る。15年かかって、それをできる環境がようやく整ってきたと感じています。
——独自の取り組みをされているので、見学の希望も多いのではないですか?
インカーブは当事者の見学はウェルカムですが、一般向けの見学会はしません。福祉関係からのお誘いやお声掛けも、ほとんどお断りしています。僕らはアートを「障がい者と社会の接着剤」として考えているわけではなく、あくまでも現代アートとして捉えています。
——では最後に、今後のビジョンについて聞かせてください。
人育ての時期だと思っています。インカーブには、社会福祉士資格と学芸員資格の両方を持った専門スタッフが6人いますが、福祉とアート・デザイン、その両方を実践できる人材はなかなかいません。そのために昨年からインカーブの活動やノウハウをインターンシップとして有給で体験してもらう「同じ釜の飯プロジェクト」をはじめました。これはインカーブで働く人を増やすためではなく、それぞれが働く場所にここでの経験を持ち帰ってほしいと思っています。
——たしかに、美術的な視点で観ることができる福祉関係者というのは、なかなかいないと思います。プロジェクトを通じて、各地で同じような事業を実践できる方が増えていくと良いですね。
インカーブはキャパシティも限られていますし、辞める方も少ないので、待機されている方が多くおられます。待機されている方の中にもすごい作品を作る方がおられますし、きっと他の地域にもたくさんおられると思います。そういう方の中から、新たなアーティストを発掘するプロジェクトにも関わっています。あとは、ご縁あって関わっているオリンピックとパラリンピックをどうつなげていくか、考えていきたいですね。
事業が安定している今は、「人育ての時期」と今中さん。「同じ釜の飯プロジェクト」は、2018年7月まで予約が埋まっている。