西野 昌克(にしの まさかつ)
近畿大学文芸部文化デザイン学科 教授
プロデュース学概論、プロデューサー論、プロジェクト演習担当
1955年、大阪市生まれ。京都市立芸術大学専攻科西洋画修了。
現在、京都市立芸術大学美術教育研究会会員、協同組合ジャパンデザインプロデューサーズユニオン監事、日本アートマネジメント学会会員。これまで「新鋭作家選抜シリーズ展」「靭公園バラ祭—ちびっ子青空ラクガキ大会」「有馬温泉路地裏アートプロジェクト」などを企画。2017年、ベトナムとの国際交流として戦争証跡博物館の壁画「白鳩が平和を運ぶ」プロジェクトの監修を務める。
これからの文化振興に必要なのは、「発注スキル」を持った人材育成。
美術家から、気がつけばアートプロデューサーへ。
——西野さんがアートプロジェクトに関わるようになった、きっかけを教えていただけますか?
もともとは美術家として活動しながら、並行して美術研究所を経営していました。私が最初に関わった「有馬温泉路地裏アートプロジェクト」は、たまたま有馬温泉の御所坊という旅館の社長と知り合いで巻き込まれました。当時その社長が有馬温泉観光協会の広報部長で、地域活性のためにアートを活用して何かやってほしいと相談されたのがきっかけです。有馬をきっかけに、瀬戸内の犬島のプロジェクトなどから声が掛かるようになり、アートプロデュースに携わる機会が増えました。
——美術家であった西野さんがプロデューサーになられたのには、どんな経緯があったのでしょうか?
アートプロジェクトに関わったのは有馬が初めてですが、最初は「美術作家としての西野」に声が掛かったのだと思います。ただ作家として活動していた当時からグループ展を開催するたびに代表を頼まれたり任されたりして、全体を統括する立場になることは多くありました。また美術研究所の経営者でもありますから、経営を通じてマネジメントのスキルも身についていたのだと思います。
——気がつけば、プロデューサーになっていた……という感じでしょうか?
そうですね。周囲の方からの信頼や期待があって、それに応えようとしてきた結果が、今につながっているというか。美術家の中ではそれほど才能のあるほうではありませんでしたが、他の美術家よりも社会性を持っていたのか、プロデューサーの資質はあったのかもしれませんね。
——西野さんがお考えになるプロデューサーの資質とは、どのようなものだとお考えですか?
一言でいえば、「おもてなしの心」があるかどうかがとても重要でしょう。人々の媒介としてアートを活用するわけですから、制作者にも鑑賞者にも細かな心配りができないと務まりません。私の場合は、アートをプロデュースするのにビジネスマインドを持って双方に対応してきたという自負があります。理想を言えば、経済社会の上に立ったアートプロデュースができることも資質だと考えます。
——「ビジネスマインドを持つこと、経済社会の上に立つこと」とは、収益や集客などをきちんと見据えることがアートプロデューサーとして重要……ということでしょうか?
有馬のプロジェクトでは出展者に10万円が支払われていましたが、国内のアートプロジェクトは、アーティストが手弁当で参加しているケースも多くあります。そのような状況では、プロジェクトそのものを長く続けることもできません。予算集めや予算管理も、プロデューサーの重要な役割ではないかと思います。
大阪市西区にある西野さんの美術研究所。経営者としてのマネジメント力もプロデュースに生かされている。
社会を意識した作品をつくる若手アーティストたち。
——西野さんがこれまでアートプロジェクトに関わってこられた中で、社会に対する「アートの力」を実感されたことはありますか?
有馬のプロジェクトでは、温泉観光客の多くは、普段美術館やギャラリーに足を運ばない人が鑑賞者でしたので、その人たちが路地裏を散策しながら「これってアートよね。」と気づかれるのを見て、救われる思いでした。
普段とは異なる空間を楽しむ人々が意外に多いことを実感した瞬間でした。最近のプロジェクト型のアート作品が、その土地の歴史や風土からコンセプトを発見し、社会に対しメッセージ性のある作品が多くなったように思います。
——「社会のためのアート」を意識するアーティストが増えている、と理解して大丈夫でしょうか?
その通りです。以前は自分の作品をアトリエで仕上げて、とある場所に設置するという方法でしたが、若いアーティストたちは、その土地の歴史や風土からコンセプトを導き出すのが上手です。コミュニケーションアートとかソーシャルデザインという言葉が生まれて来たからでしょう。
有馬温泉路地裏アートプロジェクトに参加には、海外からの参加も多数。アーティスト・イン・レジデンスも行い、夜な夜な、飲みながらアート談義が繰り広げられていた。
「社会のためのアート」を機能させていく人材を育てる。
——現在西野さんは近畿大学の文化デザイン学科の教授でいらっしゃいますが、文化デザイン学科ではどのようなことを教えているのでしょうか?
文化デザイン学科は2016年の4月に開設され、文化や芸術活動を地域や社会のなかで活かす仕組みを考え、プロデュースする人材を育てることを目的にしています。「感性学」「デザイン」「プロデュース」の3つの系で構成されており、感性学は感性とは何かを学んでおり、デザインは空間や建築、プロダクトも学びます。プロデュースは私がアートプロデュース、アートマネジメント、プロデューサー論を担当し、ほかに2名の教員がホスピタルアートや地方創生論などを教えています。
——西野さんご自身はここから、どのような人材を育てていきたいとお考えですか?
文化事業をきちんと設計・発注できる人材を育てることですね。おそらく学科の卒業生の多くは一般企業や、公務員として自治体に就職すると思います。それはつまり、文化的な事業を発注する側になるということです。発注側が事業の目的をきちんと理解し、実現するための道筋を示すことができる、これを「発注スキル」と呼んでいるのですが、このスキルを身につけた人材を企業や自治体に増やしていくことが、これからの文化振興には必要だと思っています。
——アートプロジェクトを実践する側ではなく、発注する側に届けていくといことでしょうか。
特に、自治体にそのような人材を増やせたらと思っています。今は公務員志望の学生が多いので、これから自治体にもアートプロデュースの知識を持った人材を増やしていけるのではないかと思います。
——アートの現場以外にも、アートを学んだ人材が必要ということですね。
一般企業や自治体に人材を届けるという点で、芸術系の大学でなく、近畿大学という総合大学の中にアートプロデュースを教える学科ができたというのは意義のあることだと感じています。
学科生が毎年80人ずつ卒業していくと、10年で800人。次代を担っていく「人」を育てていくことが、今の私にできる、社会貢献だと思っています。
——では最後に、西野さんご自身は、どのような夢や目標をお持ちですか?
現在、近畿大学と東大阪市、商工会議所の産官学連携で、東大阪市の都市ブランディングを進めるプロジェクトがスタートしています。東大阪市はいわゆる町工場、中小企業が多いモノづくりの町です。そこで働く人々が自分のまちを誇りに思えるように、シビックプライドを高めるアートプロジェクトができたら……と思っています。町工場で働く人たちは本当に格好良いので、彼らがまだ自分で気づいていない自分たちの魅力に気づいてもらうこと、そしてその魅力を発信していくことを考えています。
近畿大学で教鞭をとる西野さん。「芸術大学ではなく、総合大学にアートプロデュースの学科ができたというところに、意義があると思っています」