伊藤 寿佳子(いとう すよこ)
アトリエSUYO主宰、大阪チャチャチャバンドリーダー。
大阪府生まれ。夙川学院短期大学美術学科デザインコース卒業。

大阪の播州織物の会社で企画営業を5年勤める。1995年に織体験工房「アトリエSUYO」をオープン。1998年、イタリア・フィレンツェのアートスクール(Academia Italiana Moda)に半年間留学。手織作家グラツエラ・グイドッティ氏に師事。

 

「福祉感」なく、助けてもらって、一緒に楽しく生きる。


さをり織りと音楽を、障がいのある人と一緒に楽しむ。

——伊藤さんは、福祉とアートをつなぐ方だとお聞きします。現在の活動について教えてください。

あまり福祉も意識していませんし、つなぎ手という自覚もないんですが(笑)。「さをり織り」という織り物とベンガラ染めのアトリエを運営していて、このアトリエは就労継続支援B型施設(※)にもなっています。またここに通う障がい者の方とプロのミュージシャンを含めたメンバーで、「大阪チャチャチャバンド」というグループを組んで演奏をおこなっています。
※障がいにより企業などに就職する事が困難な方に対し、働く場所を提供する就労継続支援のための施設。雇用契約を結ばず、利用者には作業分のお金を工賃として支払われます。

 

——もともと織り物や音楽の活動をされていたのですか?

播州織物の会社に勤めていたのがきっかけで、織り物やテキスタイルに関わるようになりました。個展やグループ展で自分の作品も発表しています。音楽は南米の笛・ケーナに出会ってから、いろいろなバンドで演奏活動をしてきました。

 

—障がい者の方と関わりを持つようになったのは、どんなきっかけで?

20年ほど前になりますが、アトリエの運営と並行して、NPO法人のさをり織り教室の講師をしていた時に、知的障がい者の方とそのお母さんが教室に来られました。障がい者の方に教えるのは初めてだったのですが、寄り添いながら丁寧に指導したところ、その方は半年で織りができるようになりました。それをきっかけに、そのクラスにたくさんの障がい者の方が通われるようになったんです。

 

——音楽活動は、いつ頃から始められたのですか?

音楽も同じ頃ですね。教室のクリスマス会で音楽を演奏したところ、本人たちもお母さん方もすごく喜んでくれたので、これは続けていこうと。当初は織り作業の合間に、自己表現のためのレクリエーションとして活動していました。
それがどんどん活発になり、1998年の長野オリンピックと同時に開催された障がい者芸術の祭典「アートパラリンピック」での演奏を皮切りに、アメリカやイギリス、韓国、香港にも演奏に行きました。

 

 

 

 

 

 

 

民家をリノベーションした小さなアトリエ。織り物やベンガラ染の教室のほか、映画の上映会や講演会、ワークショップなどさまざまなイベントも行われている。

 

音楽活動で得た報酬を、工賃として利用者へ。

——現在伊藤さんのアトリエは就労継続支援B型施設になっていますが、そこに通うみなさんと音楽活動をされているのですね。

そうですね。就労支援の対象は、知的障がい、精神障がい、身体障がいの方で、織りの活動だけに来られる方が9名、織りと音楽活動の方が7名、音楽活動だけの方が5名です。

 

——就労継続支援B型施設は、ご自身が立ち上げられたのですか?

いいえ、NPO法人の分室として事業をおこなっています。1995年に開設したアトリエは、もともと一般の方を対象にしたものでした。それが障がい者の方の通所施設になったのは、2009年です。講師をしていたさをり教室で障がい者の方と活動するようになり、その教室を運営するNPO法人の経過的デイサービスの分室としてスタートしました。

 

——なるほど、NPO法人の傘下として事業を始められたのですね。

当初はさをり織りをメインにするNPO法人の分室でしたが、その後音楽活動が盛んになったことで、2012年にさをり織りをメインにするNPO法人から、音楽活動に積極的なメンバーとともにNPO法人「あまのたね」に移りました。その時にアトリエは就労継続支援B型施設になり、バンド名も「大阪チャチャチャバンド」に改名しました。あまのたねは私の生徒さんが運営していて、織りのほかの活動も比較的自由に行うことができるんです。

 

——音楽活動を行うためにNPO法人を移られたとのことですが、音楽活動も就労継続支援の対象になるのですか?

はい。以前は会費500円の余暇活動でしたが、就労継続支援B型施設になってからは演奏でいただいた報酬や、CDやグッズなどオリジナルグッズの売り上げを工賃(給料)としてメンバー(利用者)の方に支給しています。

 

——なるほど、NPO法人の傘下として事業を始められたのですね。活動にかかる費用は、どうされているのでしょうか?

報酬や売り上げは一度アトリエの収入とし、メンバーとスタッフへの給料、音響への支払いに充てています。遠方や海外へ公演に行く際の交通費は、メンバーの実費です。楽器も各自で購入します。助成金などは受けていませんが、社会福祉団体から寄付をいただいたことはあります。

伊藤寿佳子|アトリエSUYO 主宰

南米フォルクローレ、ビートルズのカバー、オリジナル……ジャンルにとらわれず、独自の音楽観でとにかく楽しいパフォーマンス活動を行う大阪チャチャチャバンド。さまざまな福祉、音楽、アートのイベントに呼ばれ、どこへでも出かけていく。

 

親は可能性に気づき、子供は責任に目覚める。

——これまで活動を続けてこられた中で、織り物や音楽が持つ力、アートの力を実感されたことはありますか?

障がい者の方ご本人もそうですが、その親御さんの変化を感じますね。教室で親子それぞれに作品を織っていただくと、親御さんが見本を真似て織った作品より、知的障がいのあるお子さんが自由に楽しみながら織った作品のほうが面白いんです。その作品を見ると、多くの親御さんが、お子さんの中にあるアーティスト性や個性に気づかれます。そして枠の中で守っていくのではなく、その人らしさを生かすことで、才能を伸ばしていこうという意識に変わっていかれます。

 

——その人の中にある可能性や素晴らしさに気づくことで、親御さんも前向きな気持ちになられるんですね。
音楽のほうはいかがですか?

音楽活動は障がい者の方ご本人が、自分たちの楽しいエネルギーを表現することで喜んでくれる人がいる、ということが実感できると変わりますね。活動に責任を持つようになるんです。訓練やコンテストのためでもなく、ただの自己満足でもなく、「人に喜んでもらえる、責任のある音楽活動」になります。

 

——誰かのため、という意識が生まれるのでしょうか?

そうです、人のために演奏するという意識を持つと、聞いてくださる方にも伝わります。大阪チャチャチャバンドは決して演奏技術が抜きん出ているわけでもリズム感がいいわけでもないですが、とても心地よいリズムを感じていただけるようになりました。楽しんで演奏すると喜んでもらえる、そしてまた演奏に来てくださいと声が掛かる。こうして演奏活動での成果が得られるようになると、本人たちにもプロとしての自覚のようなものが芽生えてきます。

 

 

 

 

 

 

 

特注の棚に色とりどりの織り糸がずらり。伊藤さんの名前であり、アトリエ名でもある「SUYO」には、スペイン語で「彼の・彼女の・あなたの」または「仲間・家族」という意味がある。

 

おせっかいな大阪のおばちゃんこそ、理想のつなぎ手。

——約20年にわたって活動しておられますが、障がい者の方と一緒に活動するうえで、大切にされていることを教えてください。

私自身は障がい者の方と活動するのに、なにも障害は感じていません。「障がい者福祉のために!」と活動を始めたわけでもなく、むしろ「障がい者に助けてもらう」くらいの気持ちです。それが続けられた大きな要因かもしれません。本当に「ありがとう!」と思って、一緒に生きています。

 

——助ける、助けられるではなく、一緒に生きるという感覚はすごく素敵だと思います。

そうですね。「障がい者の方への織り物の指導者」という形で続けて来ることができたのは、本当に幸運だったと思います。テキスタイルの世界は奥が深くて面白いものですが、なかなかそれだけではやっていけません。音楽活動もいろいろバンドを組みましたが、「大阪チャチャチャバンド」が一番長く続いています。

 

——障がい者の方と関わりながら、ご自身のライフワークでもある織り物と音楽を続けて来られたのですね。

音楽はその場限りで音としては残りませんが、地味な練習の積み重ねがあります。逆に織り物は織っている間は地味ですが、出来上がりのものが物体として存在します。成果の出方がそれぞれ違っていて、その両方があったから、続けて来られたのだと思います。

 

——伊藤さんがこれからかなえたい夢や、将来の展望などを教えてください。

ずっと好きなことを続けてきましたが、そろそろ後継者を育てたり、長く残る作品を作っていきたいと考えるようになりました。これから生み出していくことが、長く続いていくと良いなと思っています。
大阪チャチャチャバンドとしては、NHKの「みんなのうた」で取り上げてもらえるようなオリジナル曲を残したいと思っています。そのためにレコーディングと映像の撮影をして、自薦で応募しようと計画中です。

 

——では最後に、ご自身は「つなぎ手」としての意識はあまりないとおっしゃっていましたが、つなぎ手として大切なことはなんだと思いますか?

大阪のおばちゃんのような、おせっかい精神でしょうか。心配したり世話を焼いたり、周りを巻き込んだりするパワーが必要なのでは、と思います。私も大阪のおばちゃんとして、これまで助けてもらった分を、これから活躍する若い人に返していかないといけませんね。

「イギリスの思想家サティシュ・クマールの『誰もがアーティスト』『どんな仕事もアーティスティック』という言葉が好き」という伊藤さん。沖縄の織りを取り入れたり、海外のアート展に出展したりと、常に新しいことにチャレンジしている。