ハナムラ チカヒロ

ランドスケープアーティスト/研究者・博士/俳優
「まなざしのデザイン」というコンセプトと、「風景異化論」という理論で、芸術から学術まで領域横断的にさまざまな活動をおこなう。風景をつくる、風景をかんがえる、風景になるという3つの角度から、領域横断的な表現活動を行う。大規模病院の入院患者に向けた霧とシャボン玉のインスタレーション、バングラデシュの貧困コミュニティのための彫刻堤防などの制作、世界各地の聖地のランドスケープのフィールドワーク、街中でのパフォーマンス、映画や舞台に俳優としても立つ。
2010年より大阪府立大学21世紀科学研究機構准教授、2012年より大阪市立大学都市研究プラザ客員研究員、2017年よりスペイン・バルセロナ大学遺産観光研究所客員研究員。

 

アートの役割は、常識の枠を外す他者であること。


風景の半分は、見る人の主観でできている。

—−ハナムラさんは緑地環境科学の博士であり、表現者であり、現在は研究者としてスペインのバルセロナにおられます。非常に多岐にわたる活動をされていますが、活動を始めたきっかけや動機について教えてください。

もともとは庭や公園の設計をしたり、都市計画の提案をしたりとか、そういうことをやっていました。いわゆるランドスケープデザインと呼ばれる屋外空間の設計ですね。それが途中で意識が変わってきて、木を植えて、山を作って、道を作るだけで“風景(ランドスケープ)”ができたということに違和感があったんですね。例えば同じ公園でも失恋した時は暗く見えて、仕事がうまくいった時で明るく見えたりすること、ありませんか?

 

—−あります、あります!同じ景色でも、気分によって見え方がぜんぜん違います。

そこに気づいた時に、環境をデザインするだけではなくて、環境を見ている人間側の意識とか見方とか、そういうものをデザインすることが風景をデザインするもう一つの方法ではないのか、と思うようになりました。
そのきっかけになったのは、当時大阪大学に設立されたコミュニケーションデザイン・センターの研究者として人文科学に関する研究活動も行うようになったことです。それまではランドスケープデザインのオフィスで働いていたのですが、空間のデザインだけでなく、人と人の関係性を作っていくコミュニケーションデザインに関わるようになり、「まなざしのデザイン」というコンセプトに行き着きました。それが2005年頃からですね。

 

—−ハナムラさんの活動のテーマですね。

その一環で、人間のものの見方、つまりまなざしをデザインするのに芸術は非常に有効だと気付きました。美術館で作品を見た帰りは、風景が少し変わって見えるじゃないですか。芸術や創造性に触れることで、自分が想像していたことの外側みたいなものを自分の中に取り込むことができると、風景の見え方は変わるのではないか、ということに思い至りました。それが、自分がアーティストとして何かをするようになったひとつのきっかけです。

—−もともとアートや芸術をやりたいというよりも、純粋にランドスケープをやっていかれる中で、芸術の可能性に気づかれたのですね。

実はランドスケープデザインとの出会いも偶然なんです。昔は医学を志していましたが、その途中で地球の医学のような、もう少し大きな枠組みで人のためになることができないかと思い、生命環境科学の分野に進み環境問題を考え始めました。そこで偶然、ランドスケープデザインという考え方に触れて…という感じです。
アートにも最初はさほど関心がなかったのですが、アーティストが行う問題の掘り下げ方や、僕らが常識と信じていることの外側を掘り下げていく力があると徐々に感じるようになったことがきっかけです。地球環境から入って環境デザイン、デザインからアートへと広がっていったという感じですかね。

 

—−コミュニケーションデザインやランドスケープデザインと並行して、ご自身でも表現活動を?

そうですね。もともとはアート表現も役者としての表現も誰かから声をかけていただいたことで始めることになりました、僕は基本的にはいつも誰かに頼まれたことに応えるという形で何かをする姿勢です。自分の意思を持たないほうがうまくいくことが多いんですよ。自分がやりたいことというより、その時の状況が自分になにをさせたいのかを考えると表現が生まれる。そうやってレスポンスする中で表現してきたことが、これまでの自分の活動の軌跡になっているのかなと思います。
役者も研究者もこの場所の運営も、表現形態はバラバラですが、同じことをしている感覚なんです。生きていくとはどういうことなのということを、自分の身をもって、実験し続けているという感じです。

 

—−純粋に自分が表現したいものというよりも、生きていくことの延長線上で、こういうものがすべてあるという感じでしょうか?

人はなぜ生きるのか、世界はなぜあるのか、宇宙はどうなっているのかとか。その中で僕らはどういう役割を果たしているのかとか…。そういう漠然としたことを常に考えて生きていて、それが何かのきっかけで表現する機会が与えられた時に表現が生まれる…というスタンスでしょうか。

大阪市内のある実験アトリエ「♭(フラット)」は古い活版印刷工場をセルフリノベーションしたアトリエ。この場所で、著書の出版記念セミナーも開催された。

 

圧倒的なものの前では、誰もが等しく人間になる。

—−ハナムラさんはこれまでさまざまなアートプロジェクトを手がけておられますが、中でも病院で実践されたプロジェクトについて、お聞かせいただけますか?

依頼があったのは2007年。大阪市立大学医学部附属病院の山口悦子先生が、病院の中でアートを展開するという活動を数年やっておられたんですね。そこに僕はアーティストとして呼ばれたのが最初です。大阪市立大学が行っている船場アートカフェという研究活動の一環でした。


2007年は小児科病棟の待合室で、「タングラムスケープ」というインスタレーションをおこないました。これは待合室の壁に描いた背景に、子供たちがタングラムという図形パズルを貼って、登場人物を作っていくというもの。長くて退屈な待ち時間をクリエイティブな時間に変換できないか、と考えてつくりました。いざ展覧が始まってみたらめちゃくちゃ子供たちが来て、壁だけではなく床やお母さんに貼ったり、変な生き物もいっぱい出てきて。僕が想定していたことなんて本当につまらない話で、子供たちのほうがよっぽど自由に使い方を育んでくれました。


しかも展示が終わったあと、現場の看護士さんたちが自分たちでコーナーを再現してくれたんです。すごく面白かったから、子供たちのために作ってみようと。これは非常に重要なことで、僕のアートが、「文化」に変わった瞬間だと思うんですよね。僕の創造性が誰かの創造性を自由にした、まなざしを開いたということ。これはすごく嬉しいことでした。

 

—−非日常のアートが、日常の中に落ちていったという感じなんですね。

翌2008年は入院患者さんを対象に、空中庭園を使って自然を感じられるような「風のおみく詩」という作品を詩人の上田假奈代さんと一緒につくりました。病院6階の空中庭園は、入院患者さんがリフレッシュする場所なんですね。そこを使って自然を感じられるようなことができないかと言われて、風を可視化することを思いつきました。病室は風が吹かないので、空中庭園は風がやっぱり特徴的なんです。僕たちに自然の気配を教えてくれる風を、見える形にできないかと思い、屋上庭園に500個のアルミ風船を浮かべました。風が吹くたびに、風船が動きを変えるんです。凪の時間はピタリと直立し、雨が降ったら水滴の重さで沈む。風船が自然の風を見せてくれるんです。


その風船に、看護士さんから患者さんに向けた言葉をたくさん募集して、500個の風船すべてに付けました。自分の気持ちに響く言葉が付いている風船を、ちぎって部屋に持って帰ることもできます。微妙な空気の動きに反応して動くので、病室でも少しだけ、自然を感じられます。風の断片を連れて変えるという感じですね。

 

—−同じ病院の中でも、対象や場所によって、また表現の手法がガラリと変わるんですね。

基本的に一回作ったものは作らないというか、作れないんですよ。現場が変われば答えも変わるし、表現方法も変わるので。3年目は「今度はどこでやりましょうか?」と言われました。どこが一番可能性があって、効果が面白いかを考えて病院全体を調査しました。入院病棟の6階から18階は800床ほどの入院病棟なのですが、その真ん中が大きな吹き抜けになっているんです。でも光を取り込むだけの空間で誰も見向きもしていません。そこを使って、院内すべての人のコミュニケーションを作れないかと考えました。


病気は自分の体に起こった災害みたいなもので、すごくつらくて孤独な時間を院内で過ごさなくてはいけないですよね。家族がお見舞いに来てくれても、家族は元気だから共有できない。でも同じ境遇の人が同じ空間に800人もいるということは、共感し合える可能性があるわけですよね。お互いの存在を感じるというだけでも、何か救われるものがあるかもしれない、一人じゃないという感覚が持てるかもしれない、そう思いました。もうひとつは、お医者さんや看護師さんと、患者さんの間にあるコミュニケーションの壁。どんなに丁寧に接していても壁があると思うので、それを取り払ことはできないか、と考えました。


そのコミュニケーションを促せる可能性があるのが、縦の吹き抜け空間だったんです。人々が集まって来て、そこで視線を交わし合いながら、ひとつの大きなものを見るという関係を作ろうと思って。そこで吹き抜けに霧を発生させ、無数のシャボン玉を飛ばすというインスタレーションを考えました。「霧はれて光きたる春」という作品です。

 

—−動画で拝見しましたが、吹き抜けを覆い尽くしていた霧が少しずつ晴れて、空からシャボン玉が降ってくるのは、とても幻想的な光景でした。

この作品でわかったのは、圧倒的にすごいものが目の前で起こっている時、人は我を忘れて目の前の風景をぼぉーっと見るんですね。自分の意識が外れるというのでしょうか。病院の真ん中で大きな霧の塊がゆっくりと上がっていき、空からは膨大な量のシャボン玉が降ってくる…というわけのわからない状態の前では、医者も患者もないんです。ただ一人の人になる。
社会生活の中ではみんな役割を演じています。でもずっとその中にいると、演じていることに気づけません。だからたまには、外側からまなざしを向けてみるということが大事じゃないかなと思いました。
 

 

—−あの光景の前では、みんなが平等になる…という感覚は想像がつきます。

それと同時に、芸術家が持っている役割もそこで気づきました。芸術家は、社会に対して他者であらねばならないのではないかと。みんなが常識だとしていることだとか、みんながまことしやかに守っていることだとか、信じているものの外側から何かを投げかけるということが、芸術家の役割ではないかと思ったんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

吹き抜けの空間を霧が覆い尽くし、シャボン玉が降る幻想的な風景。圧倒的な風景の前では、医者も看護師も患者もみな「一人の人間」であることに気づかせてくれる。

固定化した意識を相対化する、常識外からのまなざし。

—芸術家の役割の話になりましたが、アートの果たす役割については、どうお考えですか?

近代以降に生まれたデザインが機能性を引き受けたことで、現代におけるアートはメッセージを引き受けるようになったのではないかと思います。だからアーティストというのは、気付きを与える他者たり得る人になれる可能性があると考えています。「裸の王様」のお話のなかで、王様は裸だ!って叫ぶのは子供ですよね。家来は絶対に言えません。それを無邪気に言えるのは、社会のルールの外側にいる人なのでしょう。芸術家もそんな感じだった頃があったのだと思います。ただ最近は、芸術家も社会における絶対的な他者ではなくなっていて、社会の中に組み込まれる割合が増えているように感じています。

 

—−ルールの外側にいる異端のような存在でなくなりつつあるんですね。

ええ。これだけアートプロジェクトが増えて、アートだ芸術だと騒がれると、芸術自身が社会を再構築するための道具として使われる側になります。あちこちで行われる芸術祭などでは地域の活性化や経済の問題に結びつき、その機能を果たすためにどう芸術を使えるのかが問題になっているのだと思います。そうなると役には立つようになりますが他者ではいられなくなるかもしれません。

 

——芸術が、目的に合わせた手段になってしまっているんですね。

そもそも昔の彫刻や建築、絵画は王侯貴族や教会などからの注文を受けて作るようなものだったのだと思います。その頃の芸術は発注者の目的に合わせた手段としての意味合いが強かったのだと。芸術家が「自分の作品」や「自分の表現」を作るという作家としての意味合いが強まってきたのはそんなに長い歴史ではないのだと思います。しかしそうして芸術家が社会の要請やルールと離れたところで個人の問いを発し始めたことは、社会そのものを相対化する力を持ち始めたとも言えるのだと思います。

一方で今はまた社会との距離が近づいています。それは社会の問題を解決していくという意味で有効な側面もありますが、同時に簡単に設定された目的に対しての批判力を失ってしまうという危険性もあると思います。

そういう意味でも僕自身が思うのは、アートは「見る」よりも「やる」方がいいと思うんですよね。みんながそれぞれ芸術家になればいいし、芸術をすることでそれぞれが物事を見る力や心を磨いていけばいいと思うんです。そう考えるとこれからの時代では、芸術は必ずしも職業化しなくてもいい可能性もあるかもしれません。もちろんその中でも素晴らしいものはやはり多くの人と共有する方がいいのだと思いますが、その素晴らしさを感じるためにも見る人の方が目利きにならないといけないのではないかと。

2017年、著書「まなざしのデザイン」を上梓。今回の取材は、出版を記念したトークイベントのため日本に帰国していたタイミングで実現。

 

芸術はカンフル剤ではなく、もっと本質的に使うべき。

—−ハナムラさんは今バルセロナにいらっしゃいますが、日本の芸術事情というのはどのようにご覧になりますか?

日本でも芸術が随分と社会の中で認知されて様々な局面に組み込まれ始めているようにも思えます。その一方で、芸術が社会に組み込まれていくほど、芸術が持っている本質的な部分が見落とされていくような気はします。芸術は基本的に人が肉体的に存在する上では特に役に立たないものです。芸術がなくても人は物理的には死にません。だからこそ芸術に何が可能で、同時に何が限界なのかを、もう一度ちゃんと考える必要があるのでしょうね。日本の芸術家や芸術業界がそのこととどのように向き合うかが今後問われそうな気がしています。

 

—−アートにあるのはメッセージで、課題を解決する機能は持ち合わせていないのですね。

アートが持っている「問いかける力」に僕自身は可能性を感じています。課題に対する解決策はすぐには見つからなくても、「何が問題であるのか」を浮き彫りにすることは大きな力を持っています。芸術を使って社会の問題を解決しましょうというフレーズを最近はよく耳にします。僕自身もそういう社会の中で芸術を機能させるようなことを10年くらい考えてきましたが、最近はもっと本質について考えたいと思うようになりました。そこで唱えられている社会の問題って本当に解決する必要があるのだろうかと疑問が湧くのですね。そもそもの問題設定が間違っているのに、芸術を使えば解決できるという捉え方はとても短絡的ですよね。芸術が外から打たれるカンフル剤のような感じで捉えられることに違和感を覚えています。その範囲の中で何かを表現しても小さな問題解決はできても、もっと大きな問題を隠蔽することにしかならないのではないかと。そういう意味で問題そのものへの問いかけをするメッセージは重要だと思っています。

 

—−では最後に、ご自身のこれからについて、お聞かせください。

30代のころは様々な意味で実験をしていました。40代になり、今から人生を降りていくという段階にこれから入ってきています。だから個人的には成長ではなく成熟していきたいです。人間が生きていくというのは、非常にシンプルなことなのではないかと最近は考えています。人生の中でしないといけないことなんて、本当はそんなにたくさんないんです。成熟というのは量を増やしたり拡大していくのとは真逆のベクトルを持っていると思います。だから粛々とたたんでいくような生き方の中で何らかの表現をすることがメッセージになればいいなと考えています。
それは僕個人のライフステージだけではなく、この成熟化社会と言われる日本にも同じことが言えるのではないかと考えています。これまでの社会が向けていたベクトルのように人口が増えるわけでも、インフラ整備をしなくちゃいけないわけでもない。今からは充実を図っていかないといけない時代に入っていくのです。そう考えた時に、僕自身の成熟化を考える中で、日本社会の成熟化も同時に考えていきたいですね。

 

 

 

 

 

 

バルセロナのグロシアにオープンしたギャラリー「Souvenir」で発表した、「Body in Food」という作品。飽食の国のスペインで食事と身体との関係性を問う、七号食を実践した自らの身体を使ったパフォーマンスとインスタレーションを行った。