田中 やんぶ(たなか やんぶ)
A-yan!!関西をアートで盛り上げるNPO代表/コミュニケーションアーティスト・役者。

「みんなでオモロイコトを楽しむ」を合言葉に地域、町会や行政、企業を問わずアートというより「オモロイコト」「けったいな事」で多くの人を巻き込み大阪を盛り上げる活動を展開中。主な活動に「顔出しかんばんアートプロジェクト」、子ども達が考え作り演じる「最恐おばけ屋敷」、大阪ご当地ヒーロー「アート戦士エーヤンダー5」など。


アート=オモロイコト。その結果が、まちや子供のためになればいい。

 

悲惨な状況にあるアーティストを救いたい。

——まずは「A-yan!!」の活動や、理念について教えてください。

A-yan!!のスタートは、2005年2月ですね。自主制作映画に関わりながら、何か面白いことで集まる団体を作りたいなと思って立ち上げました。当時は「関西をアートで盛り上げる会」という名称で、2006年に「A−yan!! 関西をアートで盛り上げるNPO」に変更しました。僕はアート=オモロイことだと思っているので、A-yan!!はアーティストが面白いことをできるようにしたい、アーティストの活躍の場を作りたいという思いで活動しています。

 

——立ち上げたきっかけというのは?

悲惨な状況のアーティストを救いたいと思ったのがきっかけです。自主制作映画に関わっていた時に、監督は日の目を見ることもありますが、そのほかのスタッフはメリットがほぼなくて、評価もされなければ、仕事にもつながらない。そこで、報われないみんなでチームを作ってなにか面白いことをしようと思い、中崎町のアーティストが集まるカフェでいろいろなイベントを仕掛けるようになりました。
そのイベントや当時流行りだしたSNSを通じてさまざまな人とつながって、せっかくだから大きいことをしようと盛り上がり、御堂筋パレードに出場することになりました。僕が企画書を書いためちゃくちゃなパレードでしたが、すごく人も集まって、メディアの取材もたくさん来て。毎日放送では特番も組んでもらいました。

 

—御堂筋パレードの出場が、A-yan!!の活動の始まりになるのですか?

そうですね。2005年に御堂筋パレードに出てわーっと盛り上がって、そこから、町の魅力を勝手に宣伝する「顔出しかんばんアートプロジェクト」を始めました。その土地のお寺などに泊まって、地域の特産物や観光地を宣伝する顔出し看板を作って、現地のイベントにゲリラで置きに行く、ということをしていました。この時も地元のケーブルテレビに企画書を持っていって、取材してもらいました。

 

—なかなか自由な活動ですね(笑)。メディアへの露出は、意識的にされているのですか?

いろいろなところに出かけていって、話題になろうと思っていたので。だから行く先々で必ず企画書を出して、「こんなんやるんですけど、取材しません?したいでしょ?」って声をかけていました。それは今でも変わってなくて、何かするときはメディアに声をかけますね。

顔出し看板のほかにも、ウォールペイントやベッタン王選手権などさまざまな活動を展開。NHKなど多くのメディアに取り上げられている。

 

ただモテたい一心で始めたアート活動。

——やんぶさんご自身がアートに関わるようになったのは、どのようなきっかけがあったのですか?

20代は京都で、自主制作映画の出演や監督をしていました。モテたいという一心で。たまたま友達のバンドのPVを撮ったら、その友達が女の子に僕のことを「PVの監督」と紹介したんです。そのとたん女の子が「監督!?」って目の色が変わって。そこから映画を撮り始めました。

 

——モテたい、が動機だったのですね(笑)。ではなぜ映画から離れてしまわれたのですか?

ある映画祭に出展する予定の自主制作映画の撮影を前に、プロデューサーに迷惑をかけてしまって、僕が失踪したんです。その作品はオープニングだけ撮って、完成しませんでした。

 

——失踪……。そのあと、どうされたのですか?

ホストになりました。でも8年ほど経って、迷惑をかけたそのプロデューサーの映画祭で、ボランティアスタッフをすることになりました。それでひと夏ずっと自転車で映画祭のチラシを配りまくって、その時にまた謎の格闘家やアーティストとか変わった人とたくさん知り合って、ああやっぱりこちらの世界は面白いなと思うようになりました。

 

——ホスト経由の芸術家は、なかなか珍しいと思います。今は本業が「芸術家」ということでしょうか?

A-yan!!を立ち上げてからは、これ一本ですね。こんな髪型(腰まであるロングヘア)で、なかなかアルバイトはできませんから(笑)。でもA-yan!!の活動だけではほとんど収入がないので、ワークショップなどの講師料でなんとかやっています。家もいろいろな人のところに転がり込んで、転々としながら。

 

——ワークショップなどで講師として人に教えるスキルは、どこかで学ばれたのですか?

コミュニケーション力とマネジメント力は、ホスト時代に培いました。ホストを6年、マネージャーを2年やっていたので、場の空気を読む力と盛り上げるスキルは自身がありますね。今でも居酒屋で盛り上がっていないテーブルがあると、気になって仕方がないです(笑)。

元ホスト、現芸術家という異色の経歴。アーティストではなく芸術家と名乗るのは「名乗った者勝ちです。それにアーティストだと、自分の親に何をしているかわかってもらえませんから」。

 

おばけ屋敷ワークショップは、体育会系文化部。

——最近は、まちづくりや子供向けの活動をされている印象です。

イベントなどに呼んでもらっていろいろなまちの人と関わっているうちに、まちが盛り上がっていなくて困っているというのは実感しました。でも真面目なことをしようというつもりはなくて、たまたまチームのメンバーが「ご当地ヒーローをやりたい」と言い出したので、まちに悪いことをしに来る悪人を面白く解決するヒーロー「A-yan!!レンジャー」を作りました。それが「エーヤンダー5」の前身ですね。

 

——真面目にはやらないのが、A-yan‼︎らしさなんですね。

アート=エンターテインメントですから。その後、2008年3月から大阪府青少年会館で「アートサロン森ノ宮ヒミツキチ」というのを始めました。「毎日が学園祭」をテーマにしていて、アーティストが日替りで図工教室を開いたり、制作や展示を行っていて、近隣の子供や主婦、お年寄りまでたくさんの人が集まって、つながりあえる場でした。しかし青少年会館が廃止・売却されて、2009年3月でヒミツキチは終了。拠点を失ってこれからどうしようと考えていた時に、東成区役所から中学生の居場所作りに何かないかと声をかけてもらいました。その時に提案したのが、おばけ屋敷です。

 

——中学生の居場所づくりに、なぜおばけ屋敷だったのですか?

自分が子供のころ、おばけ屋敷作りにハマっていたので(笑)。当時やっていたことをアレンジしてワークショップを組み立ててみたら、意外と手応えがあって反応も良くて。結局2009・10・11年と3年続けることになりました。2010年には「お化け屋敷甲子園」をしようという話になって、平野区や港区、旭区でも同時開催しました。

 

——やんぶさんご自身は、子供たちのために何かしたいという気持ちは、お持ちだったのですか?

いえ、僕自身は全くなかったですね。モテるためにやってきただけなので(笑)。僕は基本的に自分が楽しいかどうかが大切ですし、子供と同じレベルなのでよく喧嘩もします。でも僕と一緒にやることで子供たちが楽しんでくれて、結果として地域も盛り上がったらいいな、という気持ちはありますね。

 

——一緒に活動されていて、子供たちの反応や変化を感じるときはありますか?

おばけ屋敷は、実はすごくチームワークが重要なんです。ひとりで脅かしても怖くないので、ワンツースリーで息を合わせてやらないといけない。子供たちは、最初はやっぱり恥ずかしがるので、「このおばけ屋敷、しょうもないって言われたいか?」って聞いてみるんです。すると「嫌だ!」と答えるので、「それならみんなで力合わせて、泣くほど怖がらせよか」って言うんですよ。そこからひとつのチームになるというか、子供たちの目の色が変わりますね。

 

——けっこう体育会系なノリなんですね。

スポ根並みにアツいですね(笑)。でも最近は、男の子が少ないんですよ。スポーツのほうに行ってしまうので。男の子はアホなことばっかり言って大変なのですが、でもそこが面白いんです。男の子がもっと参加してくれたらいいですね。

ご当地ヒーローブームが終わる頃に誕生した「アート戦士 エーヤンダー5」は、面白おかしく子供達に「したらアカン」ことを伝えるヒーロー。

おばけを演じる役者、メイク、美術、音響などさまざまな役割を子供が担当。作戦会議や現地調査、チラシ配布なども子供たち自身が行う。

 

アホなことをできる場所を、取り戻したい。

——モテたい動機ではじまった活動が、今年で13年目。やんぶさんの夢や野望、A-yan!!の今後の展開についてお聞かせください。

今は、リベンジの最中ですね。大阪府立青少年会館でやっていた「ヒミツキチ」、あんな場所をもう一度作りたいと思っています。大阪府立青少年会館は、すごく自由な場所でした。「ヒミツキチ」はいつもアーティストがいて何かをやっていて、そこに地域の子供たちが集まって宿題したり遊んだりして。その中で、気がついたら役者になっていたっていう子もいたんですよ。今はアーティストも子供も、思いっきりアホなことができる場所がないじゃないですか。

 

——A-yan!!の掲げる、オモロイコトができる場がなくなってしまっているんですね。

2009年に青少年会館がなくなった時、関東のほうからアートを使った観光プロジェクトの声がかかったのですが、大阪を離れるのが、負けたみたいな気がして。結局その話は断ってしまいました。

 

——ということは、何がなんでも、大阪にそういう場を復活させたいと。

大阪は活動をやめていくアーティストも多いですし、京都や東京に出ていく人も多い。もったいないなと思います。映画やアートの表現も、規制やルールに縛られて、面白いことにチャレンジする人が少なくなっているのも感じます。大阪には使われていないデッドスペースがたくさんあるから、ぜひ活用させてほしいですね。アーティストが好き勝手なことをやれる場所を、必ず取り戻したいと思っています。

泉田さん(奥)は娘さんと一緒に森ノ宮の「ヒミツキチ」に通っていてやんぶさんと出会い、いつの間にか親子揃ってA-yan!!のメンバーに。「私は気づけば、事務局長になってました」と泉田さん。