山納 洋(やまのう ひろし)
大阪ガス株式会社 近畿圏部 都市魅力研究室長/common cafeプロデューサー
1993年大阪ガス(株)入社。神戸アートビレッジセンター、扇町ミュージアムスクエア、メビック扇町、(財)大阪21世紀協会での企画・プロデュース業務を歴任。2010年より大阪ガス(株)近畿圏部において都市開発、地域活性化、社会貢献事業に関わる。一方でカフェ空間のシェア活動「common cafe」「六甲山カフェ」、トークサロン企画「Talkin’ About」、まち観察企画「Walkin’ About」などをプロデュース。著書に『つながるカフェ:コミュニティの〈場〉をつくる方法』(学芸出版社)、『地域プロデュース、はじめの一歩』(河出書房新社)など。2013年7月~2018年3月まで大阪アーツカウンシル専門委員


 

「自分ではない、誰かのため」という視点があるか否か。

 

面白い人たちに憧れて、アートとサブカルの聖地へ。

——山納さんは大阪ガスにお勤めの会社員でありながら、数々の企画やプロジェクトをプロデュースしておられます。なぜガス会社の会社員の方が、アートを手がけるようになったのか、そのきっかけを教えてください。

会社の寮の近くに芸大生などが集まるバーがあって、いつも映画や音楽、釣りや登山の話で盛り上がっていました。そこに週3日通っていたんです。ゴダールもツェッペリンも僕は全然わからなかったのですが、会社の人たちよりも、ここに出入りしている人たちのほうがカッコいいな、と思って。そんな彼らも一目置いていたのが、大阪ガスが企業メセナとして運営していた複合文化施設「扇町ミュージアムスクエア」でした。そこに配属されれば、彼らに一足飛びに追いつけるかもしれない。そう思い、社内公募に手をあげました。

 

——扇町ミュージアムスクエアは90年代当時、サブカルチャーの発信基地のような存在でした。

特に、小劇場のメッカと言われていましたね。そこで1997年から5年間マネージャーを務め、さまざまな芸術文化の薫陶を受けたわけです。2003年に扇町ミュージアムスクエアが閉館した後は、「メビック扇町」というクリエイターの育成支援施設の立ち上げに関わりました。


個人的な活動としては、2000年に「扇町Talkin’About(トーキン・アバウト)」というトークサロン企画を始めました。これは「うめきたTalkin’About」と名前をかえて現在も続いています。2001年には、「Common Bar SINGLES(コモンバー・シングルズ)」という日替わりマスター制のバーを始めました。2004年には同じく日替わり店主システムの「common cafe」を中崎町にオープン。カフェとしての営業をベースに、演劇公演、音楽ライブ、映像上映会、展覧会、トークイベント、朗読会、セミナー、ワークショップといった多彩なイベントを、日々開催しています。ここは自分のやりたいこと、好きなことを自由試せる、いわば実験劇場ですね。

 

好きなことをやってお金をもらう、には疑問がある。

——山納さんはこれまで数多くのアーティストと出会ってこられたと思いますが、どうすればアーティストが社会のためのアートを実践できるとお考えですか?

先日、アートプロデューサーの加藤種男さんが講演で「僕はアーティストがクライアントからの依頼なしに自分の作品を作るようになったのは、ここ200年くらいのことだ」という話をされていました。今ではアーティスト=自分の作りたいものを作る人、クリエイター=クライアントの意向を受けて作る人、という認識がありますが、実はそういうアーティストのあり方は、時代を通してみると特殊なんですね。

 

——よく「アートだけでは食べていけない」「内輪のお客さんしかこない」という話を聞きますが、実際のところ、自分の好きなことだけで評価されるのは非常に難しいですよね…。

「自分のやりたいことを仕事にする」ことを目指している人は多いですね。でもそれが実現するには、「自分のやりたいこと」が「誰かのやってほしいこと」に接続していることが必要です。

 

自分の表現を、社会のために生かすことはできる。

——ではアーティストが、社会のためのアートという領域で活動していくためには、何が必要になるのでしょうか?

最近は、社会課題に寄り添う、ソーシャルデザインの意識を持った若い人が増えています。彼らは自身のクリエイティビティを発揮しつつ、誰かの問題の解決に取り組んでおられます。 「社会のためのアート」という領域でも同じです。「自分のやりたい表現をするのがアート」ではなく、「誰かの問題を美しく解決するかのがアート」ととらえ直すことが必要なのです。

自分のやりたいことを「A面」、誰かがやってほしいことを「B面」とすると、社会のためのアートに取り組む人は「B面アーティスト」です。 僕が扇町ミュージアムスクエアで関わってきた演劇関係者の多くは「A面」で、好きなことをしているけれど、それでは食べていけないジレンマを抱えていました。メビック扇町で接していたクリエイターは「B面」で、依頼に応えてデザインや編集をするうちに、自分のやりたいことを見失いそうになっていました。

この「A面」と「B面」は、一人の人間の中に共存しています。商業カメラマンとして「B面」の仕事をしながら、自分の写真集を出したり個展を開いたりという「A面」の活動をする人や、依頼されたB面の仕事に自分ならではの提案をして、B面とA面を近づけていく人もいました。

 

——A面とB面を両立させている人、ですね。

僕は大阪ガスの立場で、アーティストにB面の仕事を依頼することもあります。劇作家に関西ゆかりの人物や事件など題材にドラマを書いてもらう「イストワール」のそのひとつ。MBSラジオで放送するとともに、朗読劇として各地で公演を行ってきました。 これは地域資源を活かしたシナリオを開発し、地域の人たちに伝え、地域活性化に貢献することを目的としていますから、B面の仕事です。この仕事を通じて新たな領域に足を踏み入れ、その知見をA面にフィードバックする、そういう営みを作っているのです。

 

——なるほど、B面仕事のためのインプットがA面のヒントになったり、相互に良い影響を与えるように思います。

アーティストは、自分は何者かを探りながら表現をしていると思います。どうやって表現活動を続けていくかをもっと自由に考えるために、社会という軸で仕事をすることをすすめていきたいですね。誰かのため、という意識でものを作ってこなかった人に、そういうことを考える機会をつくっていければと考えています。

山納さんは大阪アーツカウンシル発足の2013年から、専門委員として大阪の文化行政・文化振興に関わってきた。

 

セクションの壁を乗り越えて調整できる人材が重要。

——山納さんはこれから、社会のためのアートはどうなっていくとお考えですか?

社会のためのアートとは、公共的な課題をアートで解決するということなので、行政との関わりが深くなります。アーティストと接点があるのは文化担当者ですが、解決すべき課題は福祉や医療、まちづくり、産業などの分野に広がっています。そのため、それらのセクションの担当者が文化セクションと協働し、アーティストを信頼しなければ、アートの力は活かされません。つまり、社会のためのアートが広がっていくためには「やわらかい行政機構」が必要なのです。

 

——そこに暮らす人のことを包括的に考えれば、地域、文化、福祉をわける必要はありませんし、そもそも地続きものですよね。ただ行政では各セクションに分かれていて、なかなか横櫛を通すのが難しいのも想像できます。

また、アートの力でアート以外のジャンルの問題解決に取り組む場合には、もともとそのジャンルで活動し、専門性を持っている人たちとの競合が生まれます。大事なのは「アートで何とかする」ことではなく「きちんと問題を解く」ことなので、アートの側からどんな専門性を発揮できるのかが問われることになります。

 

——ということは、いっそう調整役が重要ですね。

官僚の中には「廊下トンビ」と呼ばれる動き方をする人がいます。各部局から資料を集めて大臣に渡すという役回りで、いい意味の言葉ではないようですが、省庁間のセクショナリズムを超えて、行政のなかで自在に動いて情報を回し、パフォーマンスを上げるタイプの人材が必要だと思います。社会のためのアートというのは、一朝一夕に達成できるような、簡単なものではありません。まだまだこれから調査や研究が必要だと思います。 

都市魅力研究室は、大阪ガス株式会社 エネルギー・文化研究所(CEL)が開設した情報発信・交流施設。勉強会やセミナー、サロンなどを通じて、都市の魅力について研究、発信している。