齋藤 佳津子(さいとう かつこ)
浄土宗應典院・パドマ幼稚園主査
京都生まれ京都育ち。東京の不動産関係の職場から1992年にアメリカへ留学。大学院でNPO/NGOの運営学について学んだ後、キリスト教を基盤とした国際NGOに15年勤務。子どもと親の遊びと育ちのプログラムの企画運営に携わる。
2006年より京都女子大学大学院後期博士課程にて、子どもを中心に据えた、異領域・異業種に拡がる場の研究を行う。2012年より應典院に入職。2013年からは、グループのパドマ幼稚園にも携わり、子どもと大人の視点が交わる部分における、価値観や感性の可塑性に興味を持つ。
枠の外にあるもの、異領域とのつながりを大切にしたい。
「保育の外」にあるアートとは。
——まず齋藤さんが関わっておられる「キッズ・ミート・アート」の概要と、始まったきっかけをお聞きしたいです。
「キッズ・ミート・アート」は、「子どもとおとなが一緒に楽しむ創造の場」をテーマに開催しているアートフェスティバルです。應典院と大連寺、應典院が運営するパドマ幼稚園を舞台に、芸術家によるパフォーマンスやワークショップをおこないます。
1回目を開催したのは2013年8月でした。当時城南女子短期大学におられた弘田陽介先生から、「保育の外にあるアート」をやりたいというお話があったことがきっかけです。幼稚園や保育園でも絵画や造形などのアートはおこなわれていますが、もっと地域の人が関わって、子どもとつくるアートができないだろうかということで。一回目は「表現の道具箱」というタイトルのもと、身体表現から映像、絵画、ものづくりなど約15プログラムをおこないました。そして2017年まで、5回を開催しています。
——「保育の外にあるアート」というのは興味深いですね。実際に開催されて、どのような発見がありましたか?
プログラムを行うなかで、3つの枠を外す試みをしていることに気づきました。
ひとつは年齢の枠。保育園や幼稚園の要領には、何歳児はこれをするというように決められているのですが、キッズ・ミート・アートのワークショップは、年齢制限を設けませんでした。2歳くらいから小学校高学年まで、同じ場所で同じものを一緒に体験します。
もうひとつは、子どもと大人の枠。ライブペインティングをしたときに、お父さんたちがすごく真剣だったのです。子どもを対象にしたプログラムですが、大人が必死になっているのを子どもが見ることで相乗効果が生まれるというか。子どもより楽しんでいるお父さんもいましたよ(笑)。
あとは、教育の枠ですね。学校では絶対できないようなプログラムにチャレンジしました。他の子どものプログラムでも、例えば、「お母さんいつも勉強、勉強って言う」「弟にばっかり優しい」など家族への文句をたくさん書き出して、それをコントユニットの講師と一緒に、コメディにして笑い飛ばそう!という試みもしました。親には到底聞かせられないようなものがたくさんあって、でもそれを子ども自身が表現で伝えることの面白さがありました。
——子どもたちにとっては、ふだん学校や保育園・幼稚園で体験するのとは全く違うアートの体験だったでしょうね。
そうですね。そして反対に、アーティストが子どもの反応から知る・学ぶことも多くありました。こちらの思惑を全て壊してくれるのが子どもです。すごく自由な発想や表現が生まれて、大人の想像をはるかに超えてくれて面白かったです。私たちが難しいんじゃないか、怖がるんじゃないかと心配したプログラムも、予想以上に楽しんでくれました。
子どもの日常はアーティストにとっては非日常、アーティストの日常は子どもにとっては非日常です。お互い非日常の中で、それぞれ感じること、思うことは多いにあったと思います。
「キッズ・ミート・アート」の取り組みは、2014年の日本保育学会でも発表された。
すれ違いや断絶、逸脱も大切にしたい。
——「キッズ・ミート・アート」を開催する上で、大切にしていることはなんですか?
目的や狙いをあえて持たないこと、です。これは5年間ずっと変わっていません。アーティストに時間と空間をわたして、その中で自由に活動をしてもらっています。つい幼稚園や保育園の先生は「この造形は子どもがはさみを上手に使えるようになるため」「この活動はこういう表現を生むため」と考えがちなのですが、場があって、人がいて、そこで子どもたちが何をどう感じるかは、その子次第です。ノイズを集めたコンサートも、面白がる子がいて、全然わからない子もいました。でもそれでもいいんです、ネガティブな感情も否定しない。学校教育の中では難しいですが、すれ違いや断絶、逸脱も大切にしたいと思っています。
——学校とは全く違う「教育」の場なのですね。
保育や教育の場では、同化することが求められがちです。日本人は「みんなと一緒が安心」という傾向が強いですし、子どもも「みんなのやっていることが普通」と思ったり、お母さんも「うちの子だけみんなと違う」とかよく気にしますよね。でも保育の外のアートは、違う価値観を受け入れたり、認めたり、異化していくことを大切にしています。同化する日本的な社会にあって、異化していくことがどういう意味を持っているのか、を意識しています。
要は「なんでもいいよ」ということなんですよ。どう感じるかも自由。みんながわかって、みんなで楽しんでイェーイ!にならなくても良いと思って続けてきました。
——みんなと同じでなくてもいいという経験は、子どもにとって非常に重要な気がします。アーティストやプログラムを選定する上で、意識されていることはありますか?
お寺で開催するからには、子どもたちにも自分の命や死に対して考える機会になればと思っていて、意識的にそういうプログラムも入れています。アーティストは、テーマに合わせてこの人にお願いしようかな、という感じで私やスタッフが声をかけています。アーティスト側もお寺でやることの意味を感じて、そこに寄せたプログラムを企画してくれます。
今年(2017年)は5回目にして初めて、意図的に仏教を前面に打ち出しました。竹や蓮の花、実を使ったインスタレーションのほかに、子どもお練り供養、仏笑い、親子声明などを行いました。DNAに組み込まれているのか、お念仏が流れると不思議と子どもたちもシャンとするんですよ。
——まちとの関わりについては、何か変化がありましたか?
年々、地域の方の参加が増えていることでしょうか。最初は動員にも苦労して、7割くらいはパドマ幼稚園の関係の方でしたが、近年は8月になったら「キッズ・ミート・アート」があるというのが浸透してきています。パドマ幼稚園と應典院が連携して地域に開いてく、まちのいろいろなものと混じり合いながら学びの物語をつくっていくという想いが、少しずつ形になってきているように思います。
パドマ幼稚園のパンフレット、2013年度アニュアルレポート「まちとお寺と幼稚園」、キッズ・ミート・アート2017のパンフレット。
アーティストと子どもの掛け合わせは面白い。
——齋藤さんはもともと應典院にいらっしゃったんですか?
京都にある、社会福祉や外国人福祉、子育て支援などをおこなう国際NGOに勤めていました。2012年度に應典院に来てから、幼稚園の事業やキッズ・ミート・アートに関わるようになりました。
——應典院に来られた翌年からキッズ・ミート・アートが始まったんですね。これまでに、アートに関わってこられたご経験があったのですか?
国際NGOの中で、子どもの英語とアートのプログラムのディレクターをしていました。ふつうの英語教室では面白くないので、外国人のアーティストと一緒にアートを作るプログラムです。幼稚園から中学2年生までずっと参加してくれた子がいたり、15年続く長寿プログラムに成長しました。
——そういったご経験もあっての、キッズ・ミート・アートだったのですね。
そうですね。アーティストと子どもの掛け合わせで生まれる面白さは実感していましたし、それが異文化や多文化であればもっと面白いので、次はそういうことをしてみたいと思っています。
本堂はホール仕様。演劇の公演のほか、映画の上映や講演会、演奏会などさまざまな催しが行われている。
大阪のアートシーンは、異領域との連携をもっと。
——斎藤さんのこれからの夢や、キッズ・ミート・アートの展望などをお聞かせください。
先ほどお話したように、外国人アーティストと子どものプログラムをキッズ・ミート・アートでやってみたいと思っています。ただ大阪にいる外国人のアーティストを私があまり知らないので……。京都はコミュニティが小さいので、声をかけると複数のアーティストさんがやりたいと集まってくれたのですが。
——大阪と京都で、違いを感じる部分は多くありますか?
大阪は、アートというジャンルの中での越境はすごく進んでいる印象です。ただ、教育や福祉など、異なる領域に超えていくことが少ないように思います。キッズ・ミート・アートを始めた当初は、子どものためのプログラムを実践してくれるアーティストを探すのも難しかったですね。大阪はまちのサイズが大きすぎて、つながりにくいのかもしれません。そこをつなげるコーディネーターが生まれるか、既につなげる活動している人が表に出てくると、大阪はもっと面白くなると思います。
——大阪は、アートと異領域との連携や協働が少ないのですね。
異領域と関わるということは我慢や寛容の精神が必要で、自分たちの領域の中だけでやっている方が簡単です。でも自分たちがやっていることを、どうやって違う領域の人にわかってもらえるかは、非常に大切なこと。芝居やワークショップを開催している應典院も、お寺業界からするとかなり異端です。だからこそ理解してもらえる努力はずっと続けています。お寺として我々が何をしているのかっていうところをしっかりと伝えないといけないっていう部分もあって、同じ領域の中でも変わったことをしているので、そこに対する説明とか、理解を求めていくこととか。
—「キッズ・ミート・アート」は、お寺、幼稚園、アート、異領域を横断した取り組みだと思います。
現在のお寺は法事やお参りに行く場所と認識されていますが、中世のお寺は芸能が生まれる場所であったり、福祉や教育を担う場所でもありました。私は現代的なアレンジをしながら、お寺を市民の場として取り戻していくことが應典院の大きな使命だと思っています。また芸術や文化は、もともと祈りや鎮魂から発祥してきたものが多いと考えています。表面的な美しさや面白さではなく、他者に対して死を媒介に、作らざるを得ないものというか。命や死と切り離せないものだからこそ、お寺でアートをする意味があるのかな、とも思っています。
向かって右は、應典院の主幹を務める秋田光軌さん。2017年のキッズ・ミート・アートでは「親子声明」のプログラムを行った。