白岩 高子(しらいわ たかこ)
特定非営利活動法人コーナス代表。 生活介護とアート活動を通して障がい者の自立を支援する「アトリエコーナス」、グループホーム 「ベイトコーナス」、地域交流スペース「ギャラリーコーナス」、居宅介護と移動支援「サポート ネットコーナス」を運営。2016 年からは、自立訓練と“やりたいことを見つける”ための2年間のプ ログラム「コーナスの学校 Art-Labox」も開講。

 

アート活動を通して、自由と自己表現と承認を。

 

地域で当たり前に生きていける場所をつくろう。

——白岩さんがアトリエコーナスを始められた最初のきっかけからお伺いしてもよろしいですか?

私の娘が難治性てんかんという重度の知的・身体的障がいを持っています。わかった時には、本当に何の希望も幻想も持てませんでしたが、1981 年の「国際障害者年」に「ノーマライゼイション」という概念が日本に入って来たんです。それは、「どんなに重い障がいがあっても、当たり前に地域に生きる」という思想で、その当時の感覚 では宇宙旅行に行くくらい遠い目標でした。でも、「もしこの理念が社会に浸透したら、私たち親子も生きやすく なるかもしれない」という気持ちにさせてくれた一筋の光でしたから、受け身ではなく自分でもそういう社会をつくっていかなければ、という決意をしたんです。

 

——その決意のもとに、最初はどんな行動を起こされたんでしょうか?

同じ意思を持つ母親たちと「障がい児の親の会」をつくりました。それから12 年かかって、「コーナス共生作業所」ができ、内職作業をしていたんですね。でも、誰も内職には興味なかったんです。みんなお仕事に向いてない人たちだから、すぐ飛び出しますし。だけど、作業所という居場所ができただけでも夢の実現だったので、やめることもできず……その作業所は12年やっていました。

 

—最初は内職だけをする作業所だったんですね。そこからの転換のきっかけは何だったんでしょうか?

2005年の障害者自立支援法のタイミングが次の転機でした。小さな協働作業所には補助金が出ないという風に法律が変わり、その制度が始まればコーナスはつぶれてしまうだろうとわかったんです。気合いを入れて新しい やり方を見出さないといけない状況になり、22年勤めていた保育士の仕事を辞め、どんなコーナスをつくりたいかを改めて考えました。

 

——その時に大切にされた思いは、どのようなものでしたか?

閉ざされたハコモノの施設ではなく、オープンで近所づきあいのある場所にしたいと思いました。彼らのことを 「怖い存在ではなく、意外とおちゃめでピュアな人たちなんだな」と日常的にわかってもらえるよう、町屋を活用しようと思ったんです。

 

 

 

 

 

 

 

まるで利用者みんなのお母さんのような、白岩高子さん。

 

 

何よりも大切なのは、YESを出し続けること。

——アート活動を行うようになったのはどうしてですか?

誰一人やりたくてやっていたわけではない内職仕事は、やめようと思いました。じゃあ何を?と思った時に、アートだったんです。その頃いくつかの先駆的な施設がアートに取り組んでいて、その作品が心に「ズバンッ!」と来たんですね。「これは、うちの人たちにもできる」という根拠のない自信が湧き上がり、始めることにしました。

 

——実際にアートの時間を取り入れてみて、どのような変化があったんでしょうか?

びっくりするくらいの作品ができるようになりましたね。今考えると、初期のメンバーは30代からアートを始めたので、抑圧されていた期間が長く、その反動でものすごい作品ができたのではないかと思います。3年目には全員が賞を取りました。長いこと「無理だろう」と決め付けていたことが、反省でした。賞だけでなく、イベントや企画展に招かれてライブペインティングをしたり、海外のギャラリーにも招聘されました。信じられないような可能性が広がったんです。

 

——アート活動を行う中で大切にしていることがあれば教えてください。

ひと言で言えば「自由に描くための環境と支援する人を用意する」ということですね。やってもいいし、やらなくてもいい。どこでやってもいいし、どの画材を使ってもいい。そして、時間の制限をかけないことも大切です。アートをやろうと思った理由のひとつに「その時間だけでも、自由にさせてあげたい」と思ったことがあるんです。普段から制約を受けて生きている彼らですから。何年かかってもいい、完成できなくてもいい。その人のやりたいことを尊重する。一斉に内職をしてたら見えなかったことですね。

 

——障がい者かどうかに関わらず、そこまで自由にアートができる環境は、とても豊かな時空間だと思います。

何よりも大切なのは、YESを出し続けること。彼らは、どうしても否定されがちですよね。たまにがんばったら、逆に変におだてられたりもします。そのままを承認されたことがない。なので、ただ行為だけを承認することを大事にしています。作品が評価されることが目的ではなく、「あなたはあなたのままでいいですよ」と言われることがうれしくて、みんな描き続けているんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コーナスの中庭。ここを通って2つの町屋を行き来することで、スタッフもメンバーも、気持ちの息抜きになる効果があるという。(写真上)
もともと押入だったところを個人作業ブースに改修。敏感な人が多いので、いかに集中できる環境を用意するかも大事。(写真下)

 

 

ノーマライゼイションの理念を実現するために。

——アート以外の部分で大切にしていらっしゃることはありますか?

アート活動は、全体の 30%くらいですね。内職はやめましたが、クッキーの袋詰め作業と、地域の清掃作業は継続してやっています。アート以外にも可能性を広げたいと思って、ダンススタジオに行ったり、フィットネスの先生に来てもらったりもしています。あとは、挨拶・マナー・季節の行事など、様々な生活体験が不足しているので、 そういう体験ができるようにしていますね。人は人の間で生きていくものなので、障がい者だからと言ってそういうことを身につけないでいいという考えでは、逆に生きづらいと思うんです。家族みたいに隣近所とおつきあいしていきたい。だから、アートはあくまでもツールのひとつなんですね。

 

——―隣近所とのお付き合いが希薄な時代ですから、地域の人々にとっても貴重な場かもしれませんね。

「コーナスがここにあってよかったね」って思ってもらえるようになったらいいですよね。ノーマライゼイションの理念を実現するために、あきらめずに、夢中でやってきました。簡単ではなく、挫折しそうな時もいっぱいあったんですけど、周りのみなさんの力のおかげで、いつか形にしたいと思ってきたことが、徐々に実現できてきたと感じています。この理念を、できるだけスタッフに伝えていきたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

近所の人が立ち寄れるよう開いているコーナスの入口。町会のふれあいサロンの会場として部屋を貸す日もあるそう。(写真上
来客時には、日直さんがお茶とクッキーを出す。日々の様々な生活体験のひとつ。(写真下)

 

後に続く人たちが、楽しく取り組める助けになれば。

——大阪の文化政策について、何か思うことはありますか?

オリンピック・パラリンピックで、スポーツだけでなく文化芸術のためにも予算がつきますよね。文化芸術の予算がどんどん削られていく時代に、この盛り上がりは貴重なので、いい機会にしてほしいと思います。オリパラをきっかけに、うちのような施設をつくりたいとおっしゃって、調査研究・見学にくる人も多いです。

 

——そういった調査研究などが、実際に活かされているという実感はありますか?

その先のにつながっているかは、まだちょっとわかりません。でも、関心を持ってもらい、こういう施設があることを伝えられる機会が増えるのはうれしいです。描きたいと思っている方々が、描ける場や時間が広がるきっかけになれたらいいなと思います。本来は、コーナスのような小さな規模で、ノーマライゼイションの理念を実現するような施設があちこちに増えていくのが、当たり前のことだと思うんですけどね。後に続く人たちが、ちょっとでも楽し く取り組める助けになりたいですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

「やり方がわからなければ、コーナスのやり方をいろんなメディアでオープンにしています。見学も歓迎ですよ」と 白岩さん。